2021年07月14日

夏梅の白い葉が揺れる渓

<7月の渓流に風がそよぎ、またたびは人も猫も癒す>

林道でマタタビの葉と蔓を見つけた。

留守番しているカイポのお土産にちょうど良いので少し頂いた。

白い可憐な花は初めて見た。
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マタタビの別名、まさに夏梅だ。
葉の裏側、つまり地面に向かって咲く控えめな花なので、
葉に隠れて普段は人の目に触れない。

これじゃ虫に無視されるじゃないか?

いや心配ない。
花があるというサインがある。
これだ。
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葉のの表側が白く色付いているのがそのサイン。
この白色の正体は実は葉の中に空気の層があるから。

滝や落ち込みが白く見えるのと同じホワイトウォーター原理。

白い色素ではなかった。知らない事はまだまだ沢山あるものだと痛感。

マタタビは7月に花が咲く。

この時期山奥の渓で釣りをしていると蜂に遭遇する事が多い。
この時期に多いのはマルハナ蜂という大きな蜂だ。
この蜂がマタタビの大事な受粉係だそうだ。
秋のスズメ蜂のようにしつこく人間には纏わり付かない、花じゃないと分かればあっさり離れていくし、丸っこい体型もどこか可愛い。


マタタビは森林の縁辺の湿った場所に生えている樹だ。
秋には実がなりコクワのような果実をつける。ヒグマも好物だ。

だから、
コクワの樹とマタタビの樹、それとツルウメモドキの樹があるところは記憶しておき、近ずく前には熊よけの笛を吹いて注意すべきポイントだ。これ、夕張の川で猟師に会った時に聞いた事。

写真の実はどちらもマタタビの実。
左は一般的な形だが、右は虫が卵を産みつけて変形したもので、虫こぶ(虫えい)というもので漢方薬に使われる。
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マタタビの茎はツル(蔓)性で他の木に巻きついて成長する。

ねこにマタタビと言うくらい、実や蔓は猫の大好物としても知られている。

猫の爪研ぎのツールを買うと必ず付いてくるマタタビの粉末の効果は凄い。

もう薬中患者のようにメロメロ。
ほとんど腰砕け状態でゴロゴロくねくねしている。

マタタビには誘引物質があり、それがネペタラクトールという成分

これが蚊の忌避剤として猫が活用している事が、
2021年1月21日、科学雑誌『Science Advances』に、岩手大学は、名古屋大学、英国リバプール大学、京都大学との共同研究で分かっている。

単にアヘンのように薬に溺れた訳じゃなかったのね。

ごめんねカイポ、誤解していました。
名誉を回復したものの、スネています。
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posted by タカシ at 10:10| 北海道 ☔| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年06月24日

職質、そこに愛はあるんか

<イチかバチかのムダな声かけは早く見直した方が良い

事件の解決に明確な効果が上がっていないやり方に固執する愚。

勘を頼りに捜査する時代ではない。
科学技術の時代、ITの時代に取り残された現場警官の基本動作。

自動運転だ、AI時代だ、というのに、運転免許証のICチップでさえ
未だに現場では機能していない。

ある日の愉しかった釣りの帰り道で遭遇した公務員の無駄な公務の事を愚痴ります。

地方都市の市街地をクルマで走ると40q/h規制が多い。
以前ネズミ取りに引っかかり痛い目にあっていたので、
法定速度を遵守しゆっくり走っていた。

自分の車の前後には他の車は1台もいないが決して飛ばさない。
安全運転は良いのですが、40キロを維持して走るゆっくりスピードは眠気を誘発します。

そのまま走ると居眠り運転の危険を感じました。

だから、ちょい先にある駐車公園で仮眠を取ろうと立ち寄る事にしました。
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ここはトイレもあり、誰でも休憩を取るために立ち寄っても良い場所です。

僕はトイレや仮眠だけでなく、
夕張で雨の予報がある時は、雨の中での着替えは嫌なので、
釣りの支度は夕張で雨に降られる前に、
事前にこの場所で着替えなどをします。
スクリーンショット 2021-06-23 23.04.32.png
二股駐車公園という名前の二股は、
「阿野呂川」と「富野川」が合流するあたりの地名だったらしい。

阿野呂川沿いには昔、「角田炭砿専用鉄道」という夕張鉄道とは別の支線もあったそうだ。




さて僕は迂闊にも、今は魔の6月だったことを忘れていました。

道警内部から情報では、6月は取り締まりの稼ぎ時なのです。
秋の交通安全とかそういう表の全国的一斉取り締まりではありません。

北海道の末端の下級警官ほど給与に関わる査定やノルマを意識する時期だというのです。
なぜならこの時期、初夏の北海道では各地で色々なお祭りや行事があるからです。
お祭りといえば酒が入り気が緩むのが人間。

前日の深酒が朝もまだ抜けないなんて事も多い時期。
酒気帯びや飲酒運転は点数も罰金も大きい、すなわちノルマへの貢献も大きい。

だからこんな朝早くからとか、こんな田舎道で?
と普段はあまり行わない場所でも網を張るのです。


僕は仮眠と休憩を取ろうと道道3号の札夕線の二股にある駐車スペースに車を入れた。

そしてすぐに地元栗山署のパトカーがやってきて職質されました。

私は眠りばなを起こされ、根ほり葉ほり聞かれ非常に嫌〜な気分にさせられた。

本来、市民の命と財産の安心と安全に貢献し、
市民が安寧かつ幸せに暮らしていくために尽くすのが警察の職務ではないか。

それに反して善良な市民を不快にさせ、
運転者の睡眠という健康維持を妨害する事を
警官はなぜ行ったのだろう。

それは、警察内部の社員教育が悪いからだろう。
当該警官が警職法に則らない不適切な行為なのだろうか
それ以前のかれ個人の資質が警官に向かないということなのだろうか

もしかしたらもっと根は深く、
警察組織の倫理規範とかが問題なのだろうか

う〜ん


よくわからないが

とにかく警官は人権意識が低いという事はたしかだろう。

彼らは、人をみたら犯人と疑えと刷り込まれている。
そんな人間に人権を尊重することは二の次。




もし職質が犯罪行為の抑止や捜査に役立つというのなら、
あの世田谷一家惨殺事件は解決出来ない訳がない。

未だに未解決のママ、時効を迎え捜査を諦めたという歴然とした事実は争いもないこと。
警察の能力不足以外の何者でもない。

スピード違反も一時停止違反も駐車違反もしていない。
逆走もしていない。酒気帯び運転もしていない。
蛇行運転もしていない、
あおり運転もしていない。

普通に道路交通法を守って運転していた人間に何故職務質問をしたのか?!

それを直接聞いてみた。

返事はこうだ。

『 別に暇だから職質した訳ではありません。』

そこで私はこう追加質問した。

『 何か私に不審な怪しい点がありましたか? あるいは近くで捜索すべき事案でもあったからですか? 』

彼はこう答えた。
『 いや、怪しいかどうかはこうして声をかけてみないと分からないから、声をかけたのです。』

職質とは何も意図しないで、警察が好き勝手に市民に行って良いものではありません。

すでに起きている事件事案に関係性が感じる時や、
事故や違反に繋がる可能性がある兆候が感じとられる時に限り、
任意で行うものです。

行う時には、警察手帳を明示し身分を明らかにする手順が警職法にも定められています。

今回はこれが全くありませんでした。

この時点で正規の職質とは言えません。

彼は僕の住所を尋ねました。
札幌と答えると、札幌の何処?と畳み掛けます。
何故そこまで答えなければならないのか?聞くと、

彼も札幌出身だから、というではありませんか。

全く質問に答えていません。
もうここで、この警官はアホだなと思いました。

国会答弁の弁当論法とか、やぎさん答弁じゃあるまいし、
意味のないはぐらかしです。

まともに答えるのがバカバカしくなりました。

彼は色んなことを聞いてきました。

シューパロ湖のどこの場所で釣ってきたの?
(この辺で釣りと行ったらシューパロダムだと思い込んでいた)

釣果は?
魚を見せて?
(釣った魚は持ち帰るものという思い込みも分かりました)

釣竿はそのケースの中ですか?

もう持ち物検査でもしようかという勢いです。

『 もう分かっただろう!! 仮眠を取る邪魔をしないでくれ!!!』
接近するヒグマに言うように語気を強めて言葉を投げかけると、

饒舌な若い警官はやっと後ずさりした。
僕はその機を逃さず窓を締め、顔にキャップを載せて寝る態勢に入った。

なんの不審な事実もなく、科学的な根拠もなく、
ただ個人的な勘だけで、ヒマだから、タマタマ現れた管轄外のクルマだから職質したのかと思うを益々腹が立ってきた。

イライラして眠れないので警官が去った後5分くらいしてクルマを再始動させた。

途中、何処からともなく、別の警察車両が2 台後ろに付いてきた。
継立という町に入るまで付かず離れず走っていた。

思うに、警察という組織は縄張り意識の強い集団だ。
それが、コロナ禍で管轄外から、それも感染者の一番多い札幌からのクルマが侵入することへの恐怖心があるのだろう。

もし札幌ナンバー車を標的にしているのなら警察失格だ。
いわゆる「他県ナンバー狩り」という陰湿な差別と同等の卑劣な行いと変わりない。

『 そこに 愛は あるんか?!』
『 信じられる愛は あるんか?!』
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愛のない職質なので青くなりました。

僕は警察に言いたい。

『 そこに 正義は あるんか? 』
『 信じられる科学は あるんか? 』

あまり良い釣りができて
自然に愉しそうな、嬉しそうな顔で運転していると、

田舎のノルマに飢えた遊びを知らない純情な青年警官につかまりますよ、
という教訓でした。

胆振地方の知り合いから
クルマのリアウインドウには「 室蘭在住者です。 」
あるいは「私は地元の者です。」と書いた紙を貼ると嫌がらせ被害は受けないよ、とのアドバイスをもらうご時世です。


たとえ70オーバーの魚を釣った日でも、心はフェデラーのように冷静に保つこと。
もしそうする自信がないなら、運転中もマスクをし表情を読み取られないようにするべし。

こういう警察批判を言うと
昔は特高とか憲兵とかは嗅ぎつけて嫌がらせをしていました。

現代は中国が同じようなことをしています。

中国ばかりでなく日本でも、
SNS上のつぶやきを一日中画面を見続けて不審な言論がないかパトロールをしています。

人権や自由思想というものは真剣に守る姿勢が大切なのです。
権力の手下に甘い顔を見せていると当局はつけあがります、

クマ払いでもするつもりで気後れせずこちらの強い志を言葉に込めて発しましょう。

ビビらない人間だと感じさせるとヒグマも若い警官も退きます。











posted by タカシ at 11:53| 北海道 ☔| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年06月11日

ウエットシケーダの可能性に気づく

<ドライが駄目ならライゼリンフリフトが有るさ

去年一番多く通った川へ、今年初めて偵察に行って来ました。
先週の大雨の影響は色濃く残っており、渡渉は難しい状況

この地域の川特有の濁りも入っています。
水量も予想を超えて多かったのですが、岸辺の砂礫の堆積が多い事にも驚きました。
川砂が下流に運ばれるというのは、本当は自然河川の当たり前の現象なのでしょうが、
下に巨大ダムが鎮座していますので海まで排砂する機能が失われ砂の供給も分断されます。
結果行き場を失った川砂はダムの上流域に溜まり河床が上昇してしまいます。

ダムの上は一雨ごとに魅力的だったプールやポイントが砂で埋まり消失するのが常です。
釣り人にとって、ダムは無駄というのを実感する瞬間です。
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エゾハルゼミも鳴き始めました。
この声を聞くと自然とセミフライに手が伸びます。

駄目もとで流心脇にこの10番のシケーダを投じましたが,
水面を割りドライ目掛けて飛び出す、期待したドラマは都合よくは起きません。

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このフライのウイングにはある意図をもってヒグマヘアを採用しています。

それも普段あまり出番の多くない長〜い ヘアを使います。
コックデレンのファイバーと一緒に、普通のフライでは使わない長いヒグマヘアーが活躍します。

ボディは橙色・グリーンの2色の普通のダイド・ディアヘアをフレアさせ刈り込みます。
その中間部にヒグマヘアをフレアさせるのが味噌です。
フレアさせた長いヒグマヘアの上下だけを刈り込みます。
横(左右)のウイングにする部分のヒグマヘアの横と後ろ側はボディの刈り込みより7・8ミリ余分に長く残し、ウイングヘアが体側に張り付かないようにスタビライザー的に機能させるように刈り込みの長さを変えます。

ヒグマの体毛は基本的に鹿のような中空構造ではないので浮力に優れてはいません。

一見ドライフライ向きのマテリアルではないのですが、
水面直下5or6センチ位からせいぜい10数センチ下を底までは沈下せずに漂う特長があります。

このくらいの深度での流下スタイルで、
アメ鱒の警戒心を和らげるようです。

更にこのフライにはアイも装備しています。
百均のアクセサリー用マテリアルに極小のチェーンボールがありますが、
それを利用して超軽量のダンベルアイに転用するのです。

さらにフックはバス・バグ用の太軸(TMC8089)10番
を使うことで重量を追加します。
10番と言っても、ストリーマー用の6番フックと同程度の長さがあります、
しかもゲイブが13ミリもある超ワイドゲイブなんです。

ワイドなのでフレアも刈り込みもすごくタイイング作業が楽、
そして鉤掛かりがすこぶる良いのも採用の理由です。

ドライで水面に出ないと解れば、
一旦沈めてから浮き上がらせて誘う戦法を試したくなりました。
いつものショットをかましたニンフで底を転がす方法の方が慣れてはいますが、
強い流れですので、同じセミフライで敢えてフライを浮上させて食い気を誘う攻めも面白いかなという選択です。

流心の向こう側にフライを着水させメンディングを入れフライ先行で流します。
竿先も下流にフライと一緒に移動させます、やがてドラグがかかりますが気にせずラインをリリースし、フライがフィーディングレーンの波に揉まれ見えなくなり沈んで流心部に捕まるとフライは川底へ向かいます。どんどん下流に引っ張られたら竿を止めて強いドラグをかけます。

ラインにテンションを掛けると沈んだフライは自然と水面に向かい上昇します。
この時、フライのウイングに強い水流が当たりブルブルと振動が発生します。

フライは生き生きと動いて、大鱒は遂に意を決してフライをくわえるのです。
これが私流ライゼリンングリフトという誘い方です。

Leisenring Lift という釣り方は、”アメリカのスキューズ”とも言われた沈める釣りの名手が、第二次世界大戦中に発行した著書「The Art of Tying the Wet Fly」で紹介された彼が編み出した独自の釣り方です。

戦争中に釣りという遊びの本を堂々と出す事ができたアメリカの国力と民度にも驚かされます。

そんなことを思い出しながら釣っていると、
アメマスが遊んでくれました。

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浮き上がるセミフライに食らいついたニア50の大アメ。
水面に写り込んだ新緑と背中のグリーンバック、白班が水遁の術のようです。

それにしても、釣り上がり用の普通のラインに、
シンカーもマーカーも付けないドライ用のシステムでライゼリングリフトの釣りが可能になるこのフライ、良いですよ。






posted by タカシ at 13:05| 北海道 ☔| Comment(0) | フライフィシング | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年06月04日

バターとクロワッサンの日々 (長文注意)

<今更ながらバターの偉さを認めます>

バターは偉い。

植物油のような常にダラダラした液体でない。

普段はしっかり凝固した堅物だが、チョット暑くなると融解し気を許してくれる可愛いやつ。
しかも良い香りを漂わせて周りを幸せにする。

原料の乳臭さも、そのまた原料の草の青臭さも感じさせない、
まるで羽化しかカゲロウのように軽やかさに味変する。

空気にふれても簡単には酸化しない。

ご飯にも麺にもパンにも分け隔てなく良く合う。

健康になりたければバターをもっととった方が良い。

実は僕、かれこれ3ヶ月程"バター生活”に浸っています。
(なぜそうしたのかは最後の方で医者の知見をご紹介します)

僕が初めてバターに出会ったのは、
絵本「ちびくろサンボ」の中です。

海辺の街で暮らした3才〜6才までの記憶は、
ツバメの子育てと、ちびくろサンボと、近所にあった漁船の造船所。

なかでも「ちびくろサンボ」は強烈な記憶です。

実はこの本が日本で刊行されたのが1953年で私が生まれた年で因縁を感じます。

そもそも原書が英国で初めて刊行されたのは1899年。
原作はスコットランド出身で英国からインドへ駐留したある軍医の妻が作者で、
幼児であった我が子のため作ったプライベートなお話です。

ちなみに最近ニュースで作者の死を報じられた
「はらぺこ青虫」は1969年の刊行ですので、チビくろサンボのだいぶ後です。

「はらぺこ青虫」は幼児向け絵本の世界的ベストセラーですが、
「ちびくろサンボ」の方は幼児向けにもかかわらず、
1970年代に小学校2年の光村図書刊行の国語教科書にも採用され親しまれました。

ところが、1988年に黒人差別に当たるとして絶版に追い込まれた。

主人公は背がチビで肌がクロいという黒人の子ども「サンボ」、それがが槍玉にあげられたのです。
原作ではインド人の子どもでしたが、出版時にアフリカ系の子どもに変った経緯があります。
もしインド人のままだったら題名も違っていたのかも知れませんし差別問題に発展もしなかったのかも。
今は人権(書権というのか?)を回復し、また復刊しましたが、

作品に過剰反応する市民運動も自然保護運動同様に行き先を間違えることがあるのです。
芸術の本質を理解していないヒステリックな人はどこにでもいます。
愛知の署名活動家も同根という見方ができます。

僕の幼児時代は実におおらかというか簡素というか、
戦後の復興からまだ8年でモノがない時代でした。
所得倍増計画もまだだいぶ後のはなしです。

一般家庭にはテレビもない、冷蔵庫も洗濯機もありません。
蛍光灯もないので夜は晩御飯を食べたら子どもは早く寝ます。

大人はすることはしていたので人口が増えました。
ひょっとして、現在の少子化対策もここにヒントがあるかもしれません。

それはさておき、夜の人口的な光が乏しいため、
絵本を読んで楽しめるのはもっぱら昼間です。

保育園も幼稚園もない田舎の海ガキは一日の大半を前浜などで外遊びするため、
陽に焼けて肌の色の黒さではちびクロにも負けません。

野外で陽の光を十分に浴びることで、
人間の身体は概日リズムに適合します。

昼間の活動のスイッチと夜の休息・修復のスイッチが正常に働き、
夜は寝つきがよく十分な睡眠と健康が確保されます。


絵本のいのちは描かれた絵から受け取る印象です。言葉からのインパクトも大切ですが、
「はじめにイメージありき」なのです。
言葉と覚える前に、目に飛び込むイメージ。
プリミティブなイメージに触れて原始人も心が震えたはずです。

まだ文字の一人読みができない幼児が対象ですので、
絵本全体の印象から如何に子どもの想像力を掻き立てられるか。

絵本に写実的な細密画の技法を取り入れないのはそのためです。

ストーリーテリングは読み聞かせ手の親に委ねられますが、
読み手の優劣で差がつく絵本は良い絵本とは言えません。

昭和32年当時の我が家には、まだ家にテレビもない。
自転車で回ってくる紙芝居くらいが子どもの娯楽です。

そんな時代からこの絵本は不動の人気作品なのです。


あらすじの最後でトラがぐるぐる回って、
ついにバターになってしまうクダリが僕の想像力を掻き立てました。
僕はトンボみたいに回るものに弱いのです。
バイスだって回転式のロータリーバイスです。

面白いのはバターだけではありません。
小樽の祝津という幼稚園もない漁村に住む幼児にとって、トラも黒人も、
登場するキャラ全部が見たこともない初めての世界です。

小さな子の現実世界の身近な生き物といえば磯にいるカニやツブ貝などの小動物、
そして土間の軒下に巣をつくり毎年飛来する幸の使者ツバメ。
大きな生き物では、毎年水族館にメスを求めてやってくる野生の海獣「トド」。

朝から晩まで磯で遊ぶ、ど田舎の海ガキでしたので、
文字世界より自然の現実世界の方に断然親しんでいたからこそ、
絵本の中の空想の世界の象徴、虎とバターは強烈に記憶にあります。


現実のバターを意識したのはそれからやや後のことで、
道民のソウルフードである「バターかけご飯」と出会ってからの事です。


歴史的名著「ちびくろ・さんぼ」。
子ども向けの絵本の絵はシンプルな筆のタッチが良いという法則があります。

あまり細かな写実的なタッチより、
単純ボクトツな絵の方が想像力を刺激する余地があるからです。
これはフライデザインの世界にもある程度言える事だと思います。

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なぜトラがぐるぐる回ると、バターになるのかとか。
説教めいた事も一切言わない。
ひたすら子どもの想像力に訴える。

あれもこれも絵に入れない、そぎ落とされ単純化した構図の美。

お前のブログも見習ったら?
おっしゃる通り。

子どもの頭のなかは???なので、
毎日見て空想の世界に遊ぶ動物。

ほとんどテツ&トモの世界、
なんでだろう?ナンデダロウ?🎶


哺乳類はドドと猫しか知らない田舎の子どもにとって、
見たことのない黒人がいて、トラが居て、しかもバターになるなんて発想自体が信じられないものです。


漁師町の住人にとって、魚介類は豊富に食卓に並ぶけれど、
四つ足は滅多にあたらない。

せいぜい、親戚の家で飼育していた鶏を潰した時と、
あと、叔父さんが趣味の鉄砲で撃った野うさぎが当たるくらいだ。

話は一気に現代に63年くらいワープしますが、
最近の食のマイブームはクロワッサンです。

北海道には地元資本のコンンビニがあります。
そう、昔の名前のセイコーマート。今はセコマで通っています。

僕はそのセコマのホットシェフ(店内調理したもの)の
バタークロワッサンだけを買う為に利用します。

このクロワッサンにとって切ってもきれない深い関係のものが動物性の天然油脂であるバター。
精製した植物性のマーガリンでは深い香りも旨味も出ないのです。

純正のバター。
ちびくろ・さんぼのように、ひたすらアナログでグルグル回して作ります。
添加物を入れて化学合成などしません。

数あるバター製品の中でも、国産品では十勝産”よつ葉乳業”のものが群を抜いて品質が良い。(個人の感想です)
十勝の安全な牧草を食べて育った牛の乳から作ったからだ。
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最近ぼくは
調理用の油をサラダオイルからバターに切り替えました。
大体毎週1本のペースでバターを消費しています。

なぜそうしたか?
そりゃもう、植物油で健康的に減量し肥満体質を改善したいからです。
これはドクターむらもとが試している方法なのです。

がん、脳卒中、急性心筋梗塞、糖尿病は現代日本の4大疾病とされています。
日本では最近はこれらに加えて認知症や精神病が仲間入りするようになりました。

これらの病気のうち直接その病気が死因とはならないが、
様々な合併症で命を落とすのが糖尿病の怖いところである。

最近、新型コロナの流行で基礎疾患というものが話題になりましたよね。
糖尿病は立派な基礎疾患ですが、

さらに今度新たに肥満というのも堂々と登場しました。

むかしは肥満なんて、体型のひとつの状態を指す言葉であり、病名ではなかった。
それが今は堂々と「肥満症」という病気に格上げされ出世したのです。

僕は退職後は一度も人間ドックというやつを受けていません。
受けていた7年前,メタボという言葉はあったけど、
そんな肥満症なんて判定されたことはなかった。

誰かはっきり知らないが、
役人と医者と製薬会社がどこかで手を組んで、
これで金儲けしているのだろう。

肥満判定の国際的な物差しに、BMI値というものが一般化したようだ。
家庭用の体重計にも標準装備されている項目だ。

でもまだ実際は国によっても温度差があるし、
何か病気との因果関係が実証された訳でもない。
ところによっては25以上30未満は「軽肥満」というのもあるようだ。

僕は30を行ったり来たり。
この基準数字を当てはめると、あの二刀流の大谷選手も同じレベルの軽肥満の仲間です。
えっ??まさか大谷選手が?と誰でも思いますよね。
でも現実はこんな杓子定規な判定式に当てはめると、
立派な基礎疾患持ちと判定されるのです。

昔、音楽の種類に「軽音楽」という分け方がある。
尻軽オンナみたいな言われようで、随分と失礼な分類名だが、それと同じだ。

軽度の肥満は重度の肥満より少しばかり偉い立場である。
よくぞ、この程度で踏み留まってくれた!!
そうして頑張っているのが軽肥満だ。

ほんの出来心です、この程度で勘弁してください、
と何処か自分を卑下するようなネーミング?ですね。

例えまだ軽い方だからと褒められはしても、
遠回しにそしりを受けた感じだ、命名した責任者出てこいである。

日本では、肥満症とはBMI値が30以上のひと。
血圧が130以上は高血圧というのも同じような、実にアホな基準。

とても容認出来るものではない。

血圧が130以上だと降圧剤という薬を処方されるように、
今後BMI値によって何か薬を処方させようとする製薬会社の陰謀としか思えない。

ワクチン接種の優先順位が高いグループにこの肥満症も入るのです。
せっかく基礎疾患をクリアしたと安心していたのに、青天の霹靂とはこの事です

でもちょっとおかしいですよね。
病気は医師の診断によって初めて認定されるもの。

個人が自宅の体重計で勝手に測った数字だけで、疾病であるとは言えません。
もしそれでの良いというなら日本の医療制度は根幹から揺らぎます。

自分が肥満かどうか病院に行き診断してもらう人が果たしてどれ程いるというのか?

よって、自己判断で自分が肥満症であるからと、
ワクチン摂取が優先的に受けられるという話しにはならない。

日本はおかしな事になってきた。

さて、肥満なんて運悪く罹る病気ではない。
大半のひとは成るべくして成っただけのこと。
生活習慣から来る必然のようなもの。

悪い生活習慣の積み重ねによって、つまり積年の悪習慣によってある日突然取り返しのつかない状態になって顕在化するもの。仕事の延長上の会食や付き合いと言い訳しつつも、タガが外れた末の暴飲暴食の果ての自業自得の産物なのである。

僕は断じて肥満症の患者ではない。
でも体型としてはマイルド肥満らしいが、そんな印象操作的表現はやめてほしい。

もうひとつ言いたい事がある。

「 もう退職して時間があるからと、
いつまでもグダグダ書くのはいい加減に止めてよね!!!」
と怒られますね。でも書きます。

本来、風邪を引いたという場合、
ウイルスが悪さをして、身体に症状が出た場合をいう。

もし風邪のウイルスが身体に侵入したのに、
そのひとの免疫が勝って鼻水も咳も発熱も一切の症状が出ない場合、
つまり発症していないので医者も患者とは判断しません。

今PCR検査で陽性判定されてもコロナの症状が出ない場合はどうか、
まだ発症していないので本当は患者ではないのだが、
粘膜からウイルスが一定数確認されたら感染者にカウントされるのが現状だ。
無症状の陽性者のこと。本来症状のないひとは病人とは言いません。

ここが問題なのです。症状がない場合、
風邪は患者ではないが、コロナは感染者とします。

つまりコロナ感染者とは未病段階の見せかけの数字。
ウイルスが付着したけど免疫が防御して健康を維持している状態。
これを感染者というにはかなり無理がある。

同じようにBMIの数値は30超でも一切の症状がない場合は発症とは言えない。
そもそも肥満症の症状なんて聞いた事がない。こんな欺瞞的病名はない。

自覚もない、症状も認められない、
機械的・一面的な数字だけが一人歩きするのは科学的とは言えない。
血液中の成分がどうだから肥満判定という基準すらない。
性差や年齢差による数字の幅もない、血圧みたいな乱暴な扱いだ。

BMIだけでいうなら相撲取りやプロレスラー、ラグビーのフォワードなんて皆肥満だ。
でも実際には血液検査をしてもなんの問題もない選手も多い。

要するに肥満症という病気は、
製薬会社と医学会が厚労省と結託して新しい利権を生み出した打出の小槌なのだ。

尊敬するDr.むらもとのフェイスブックに興味深い関連記事が掲載されていました。

以下原文ママ

・・・・・・

『 肥満、糖尿病、心疾患、がんなどの慢性疾患は増加の一途をたどり、
現在アメリカ人の10人に6人に何らかの慢性疾患があります。

慢性疾患の原因として、
タバコ、運動不足、アルコール多飲、食ベ物が挙げられますが、

タバコは年々減少、運動量は年々増加、アルコール摂取量は横ばいであり、
急増する慢性疾患との相関を認めません。

食べ物の中で問題視されることが多い穀物と糖の消費は20年前から減少しており、
また、肉も鶏肉だけが増加して赤肉は減少しています。

そんな中、植物油だけはこの100年で消費が激増しており、
摂取カロリーの約20%に至っており、
慢性疾患の増加と強く相関しているのです。

植物油の主成分であるオメガ6脂肪酸自体は
人間の成長に必要であり不健康なものではありませんが、

生きるために必要なオメガ6脂肪酸はごくわずかであり、
過剰なオメガ6脂肪酸は数多くの疾患の原因となることが明らかとなっています。

そのメカニズムとして、
6/3比の上昇によりオメガ3脂肪酸の機能低下が関与します。


また、植物油は非常に酸化しやすく、
過酸化脂肪はフリーラジカルとなって細胞を傷害します。

加熱により発生するトランス脂肪酸やアルデヒドなどの副産物による傷害も非常に深刻です。

バターやラードなどの動物油は
心筋梗塞のリスクがあり植物油が安全であるとのガイドラインを信じて、
植物油の消費を拡大してきましたが、
ランダム化比較試験では真逆の結果が出ています。

植物油は人間にとって異物であり、私たちの健康の脅威でしかありません。
人工的な植物油を食生活から完全に排除し、
自然の恵みである動物油脂に回帰することが望まれます。』



次の記事もどうぞ
「植物油は危険である」(疫学編)より以下原文ママ

植物油は肥満や糖尿病などの慢性疾患の増加と強く相関します。

最近になり、その因果関係は、
ミトコンドリアで生じる活性酸素(ROS)がシグナルとなり、
細胞を生理的で一時的なインスリン抵抗性にするとする考えにより説明が可能となりました。

インスリンは、体細胞には脂肪代謝から糖代謝に変更させ、
脂肪細胞には糖と脂肪の吸収を促して脂肪を貯蔵させます。

しかし、ROSによる生理的インスリン抵抗性が生じると、
それぞれの細胞の代謝は柔軟になり、
糖代謝の選択肢があっても脂肪代謝の継続が可能となります。

飽和脂肪酸の酸化によるROSの産生は多く、
生理的インスリン抵抗性が生じ、脂肪が燃焼されます。

しかし、不飽和脂肪酸の場合はROSの産生が少ないため、
インスリンが効いて、脂肪が貯蔵されます。

さらに、ROSはSCD1と言う酵素の発現を調節して、
体脂肪の飽和化を調節します。

その結果、飽和脂肪酸/不飽和脂肪酸比はROS産生量を左右し、
エネルギー代謝に影響します。

つまり、私たちは不飽和脂肪酸で肥り、飽和脂肪酸で痩せるのです。


植物油を全部やめて、飽和脂肪酸が豊富なバターを利用しましょう

乳製品にアレルギーのある方はココアバターがおすすめです。
ナッツ、アボガド、オリーブオイル、ラード、鶏肉、豚肉は不飽和脂肪酸が多く注意が必要です

不飽和脂肪酸が少ない反芻動物の牛肉とラム肉がおすすめです
詳しくはFB特集記事「植物油は肥満の根本的原因である(科学編)」をご覧ください。』



疑り深い私もむらもと先生の話しには肯定的なバイアスが働きます。
先生は海外の先進的学説も、まず自分で試して検証するひとだからです。


この3ヶ月間はバターオンリーでサラダ油もオリーブオイルもごま油も使いません。
スーパーで売っている惣菜コーナーの天婦羅やフライなどの揚げ物も買いません。
飲食店で自分から揚げ物を注文することもありません。


それでも何の問題もありません。

それにバターは、今これからが旬の北海道産の食材に良く合います。

サクラマス、ホタテ、北寄貝
アスパラ、たらの芽

どれもソティーするとバター風味と良く合います。

わらびもバターとマッチすることも発見しました。

そういえば子どもの頃はよくご飯の上にバターを乗せ、醤油を混ぜて食べました。
バター醤油かけご飯は北海道人のソウルフードかも知れませんよね。

ラーメンにだってトッピングすると途端に北海道風味に味変です。

バター愛が高じて、紅茶にまで入れて飲んでいます。
チベット高原に住む人たちは、毎日ヤクの乳で作ったバター茶を、
何千年にもわたり愛飲しているのですから健康維持にも良いのです。

バターは腹持ちが良い事にも気づきました。

バターはパンにも良く合いますよね。
でもパンを焼いて温めるのは手間がかかります。
その点、クロワッサンは元々バターの層がパン生地の間に練りこんでいますので、焼く必要ない。

市販のクロワッサンの中には、バターの代わりにマーガリンを使用しているものが多いので成分を良く確認する必要があります。

クロワッサンの糖質量ですが、
1個(約45グラム)18.9gです。
半分なら9g台です。食パンの糖質27gに比べても軍配はクロワッサンです。

だからといって糖質一日50グラム制限中の身としては、
油断して1個食べ切ったらアカンのです。モンカゲも阿寒です。

1個全部食べたいところですが、
半分にして残りは明日のお楽しみにする慎ましさが大切です。

どんなに美味しい食べ物でも、好きなだけ食べて、
好きな音楽、好きなだけ好きなゲームをし、好きなだけ酒を飲んで、好きな友達としか会わない、
辛いこと汚い事、苦しい事を避けてオハラ庄助さんみたいに暮らしていたら、

たぶんアヘン中毒みたいなダメ人間になるのです。

ちなみに、糖質ハンドブックによれば、

食パン(6枚切の1枚66g)26.6g、
ご飯(白米茶碗1杯約50g)が55.2g,
醤油ラーメン60.1g(麺230g)の糖質量です

外でラーメンを食べるのは月に3or4回程度、わがままの効く”伊勢のじょう”さんで、麺少なめの80グラム程度にしてもらいます。これで20.9gです。かろうじてその日の残り糖質量は29.1gにコントロールできます。

クロワッサンはご飯や麺類、食パンに比べてみてもかなり低いことがわかります。
これを始める前はローソンの低糖質ブランを食べていましたが、あまり効果がありません。
バターとクロワッサンに変えてからの変化は如実です。

3月からバター生活を始め2ヶ月で3s減量出来ました。晴れの日に犬の散歩、週2回家でエアロバイク10キロメートルが僕の運動です。
月1キロの緩やかな減量が進行中です。 
月3キロとかの激しいダイエットも経験もありますが、
そういうのはリバウンドします。

今のところリバウンドのない健康的な減量を継続中です。


posted by タカシ at 12:42| 北海道 ☔| Comment(0) | 健康 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年06月02日

セパレイテッド・エッグ(引き離されたエッグ)フライ

<フライデザインにおける破壊と創造?>

今となっては古典の部類に入る英国伝統のフライ。
「レッドパーマー」
ウイングもテイルもないボディとハックルだけの毛鉤。

とことん細部をそぎ落とした究極の毛鉤

日本の表現では、

「 用 と 美 」という言葉がふさわしい。

ちゃんと魚に訴える毛鉤の機能を備えていて、かつ、人間の審美眼にも訴える、
ツボを得たフライ。


パーマー(Palmer)の名の由来には諸説ありますが、
キリスト教の聖地遠征を終えて帰国した十字軍の戦士がシュロ(Palm)の葉を身につけて凱旋した故事に因み、
また毛虫のあちこち歩き回る行動が彼らの戦旅に似ている事からその名が付けられたとも伝えられています。

17世紀の英国で流行った、
当時のフライの常識といえばこのパーマースタイルだった。

「何月にはこのフライを使うべし」なんて、
月ごとに使うフライを規定する釣魚技術の本まで出版されていた。
王権や身分制度がはびこる封建的な古い時代です。

自由と民主主義なんていう概念さえ無かった時代を背景に生まれた毛鉤なんです。

RIMG2651 (2).jpg
その頃、日本はまだ江戸時代初期。
政治的に英国はまだ連合国としてまとまっておらず、
イングランドではピューリタン革命を通じてクロムウェルが台頭してきた。

いつの時代も社会の混乱期には強権を発動する独善的な政治家が生まれる。

彼は強力な重商主義をはじめ経済政策を次々と出し、
当時の強国オランダをしのぎ、まもなく世界の貿易を掌握する英国発展の基礎を築いた政治家。

極め付けはイングランド国王チャールズ1世をクーデターで断罪し葬った。
非情の軍人でもある。

晩年は、自分が国王に匹敵する終身最高統治権(護国卿)という官職を得て、
ほとんどヒトラーなみの独裁者として強権を振るった。

だから政敵も多い。
彼の死後、王政復古の時代になると、なんと反逆者として墓を暴かれた。

掘り出された遺体をわざわざ刑場で絞首刑で吊るされ、
その後ギロチン(斬首)された。
(ウワーそこまでやるのかぁ〜、ゾンビ映画みたいな事、現実の延長にあるんだ。死んだら終わりという世界観はない。)

その首はウェストミンスター・ホールの屋根に掲げられて、
四半世紀もの間晒されたというから英国人の怨念は凄まじい。
やる方もやられる方も我々日本人には想像もつかない執念深さだ。

心にドス黒い闇を持つ西洋人。

これは民族の性癖というより、
人間の醜悪性が宗教と権力の相乗効果によって増幅されたとした思えない。

当時の釣魚は餌釣りも毛鉤での釣りもまだ明確な線引きがなかった。
つまりスポーツとしての釣魚文化は庶民の中に無かった時代です。

クロムウェル軍御用達の料理人は、早朝は餌釣りで、日が昇ったらパーマー毛鉤でと、
戦地の川で現地調達した魚を日常的に調理していたと歴史書に伝えられています。

宗教も政治も文化も混沌とした時代で、価値観が次々に変わっていったのでしょう。
因みにクロムウェルはインフルエンザに感染して死に至りました。

一般のひとは時に常識を疑います。
特権を握った人は、特権という常識を失いたくないので疑いません、
それが保守の本性です。

そして自ら世間の常識の呪縛を打ち破る者だけが、
未知の世界をこじ開け、新しい価値観が生み出すチャンスを掴む。

ということを多くの革新的な芸術家や科学者から学びました。

過去から継承された伝統技法の先には、
後継者だけが体得した予定調和の美として粛々と伝承されています。

そういう道が向いている人は人間国宝の道もあるでしょう。
反対に、まだ誰も歩いた事のない道に足跡を残し、自由に創作したいと切望する人もいます。
僕もそのはみ出し者の部類でありたいと願う者です。

新しい視点と発想そして何処にもまだ無く、
まだ誰からも認知されていない表現とメソッドを夢見ます。

冒険的釣魚家は、自らの仮説と検証を積み重ねて、
新しい釣魚法とフライデザインの扉をこじ開ける事が許されます。

とか何とか、言っちゃって、

そんな大層な志しなど微塵もないくせに、
只ひたすら魚が溢れる恵の渓に身を置く幸せに感謝。

模倣と創造性とヒラメキは紙一重ということが多いのも事実だから、
謙虚に自然環境に接するしかない。

そんな自然環境をに真剣に接するといつかは、
インスピレーションが湧いてくるものだ。

でもそれは膨大な観察の基礎の蓄積があるからこそ、偶然というか、
論理的なものというより感覚的な思いつきから発現しがちです。

う〜、お前の話は長い。
わかってますよ。

本題に入ります。

今日紹介するフライは100%赤の他人の創作です。
私の発案したものではありません。

斬新なアイデアなのでつい目に止まりコピーしてみました。
つまり模倣です。

このフライはタイイング方法までは公表されていませんでしたので、
自分なりの推測で試行錯誤しながら形にしました。

なんじゃ、これは?
IMG_20210503_035138 (1).jpg
アイは決して利用されません。

毛鉤をタイイングする場合、通常はシャンクと言って、
フック(鈎)のシャンク(直線的な軸の部分)にボディのマテリアルを巻き留めます。

ところが、このエッグフライはシャンクには巻きません。

ティペットで直に結んだヤーン素材を成形しただけなのです。

ティペットのもう一方の端は後からシャンクに直接結束します。
1センチくらい間隔をあけて結び留めます。この長さを調整できる結び方で行います。

海釣りの仕掛けの枝鉤の様なスタイルになりますので、
これを考えた人は恐らくソルトの釣りにも精通していると想像できます。


淡水のフライフィッシングしかしない僕から見たら、
引っ掛け鉤みたいでどこかアザトイ感じがします。
あまりクールとは言えませんね。

発想は面白いのですが、
釈然としないのは、まだ僕の頭が硬いからでしょう。

こういうフライが出てくる社会性お考えと、
フライ界のLGBTかも知れません。

エッグの下に黒くくっついているのはスプリットショットです。
ウエイトのあるエッグ本体側が底側で、フックは常に底から離れて流れる訳です。
オモリと鉤を離すことで根掛かりを軽減する効果があるそうです。

エッグフライに根掛かりはつきものですが、それが減るというメリットは確かにあるようです

このフライをフライ(毛鉤)と呼んで良いのかという懐疑的意見もあると思います。

毛鉤とはなんぞや?
毛鉤が釣魚史に登場するのは紀元世紀に遡る。

古代ローマ時代の文献に出てくるマケドニア地方の毛鉤などは、
その地の羽虫を模した、
緋色の毛糸のボディと蜜蝋色の雄鶏のフェザーをウイングにしたイミテーション。

魚が食べている生き物を、釣り鉤に再現した擬似餌である。

虫の仲間でもその他の生き物でも何でもOKなのだ。

たまたま小魚がいれば小魚を模し、産卵した他の魚卵でも、
蚊でもセミでもカゲロウでもネズミでも何でも。

そう考えたら、エッグフライも立派なフライです。

たとえ素材が人工的な化学製品でも自然素材でもその時代にある物なら出自は問いません。

ほとんど、前によくアメマス釣りで使用していたこのフライと機能は同じです。
IMG_20210506_071628.jpg

見た目は海釣りに使う擬似鉤とよく似ています。
職業漁師の釣りを連想させるこのパターン。

垣根を飛び越えたフライとして認知できる柔らかな頭のひとが使うフライでしょう。

厳格なフライの定義に固執したい頑固な釣り人は手を出さない方が良いでしょう。

僕は原理主義的思考が性に合わないなので前者です。
だから「引き離されたエッグフライ」でも否定しない立場です。

















posted by タカシ at 14:04| 北海道 ☔| Comment(0) | フライフィシング | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年05月25日

ユーチューブ・グーグルらの独善

<プラットホームの勝手でしょ、って態度はダメでしょう>

YouTubeからメールで利用規約が更新されたと連絡が届いていた。


システムの脆弱を改善する為のちょっとした変更かと思って見過ごすところだった。

顔認識?ログインする時の認証の方法なら、

そんな方法取っていないから関係ないや。


そして次はYouTubeの収益化?

ユーチューバーではないので関係ないや?


最後がロイヤリティだって?

まるでフランチャイズ企業の親玉が契約している個人事業主に指導する文言じゃ?

要は経費としての税金を前もって引きますよというもの、本部の税金対策か。

私、前職は某フランチャイズ企業側にいましたので・・。


ガーファを筆頭にITのプラット・ホーマー(以下PF)企業は、その専有的優位性を良い事に

一方的に彼らのサービスを使う僕らに不利な条件を突きつける傾向がある。

PFとは、インターネット上で、モノ・サービスの売り手と買い手や、企業と求職者などが出会う「場所(プラットフォーム)」を提供する業者のこと。仲介手数料や広告料が主な収入で、利用者が増えるほど利便性が増し、市場支配力も高まる。国内ではヤフーや楽天などが当てはまる。

いつものパターンかい。


とスルーするところだったが、実は大きな誤解だ。

どういう事かというと、まず本文を見て欲しい。

本部HPにあったその主旨と、メール内容を以下のとおり貼り付けた。
最新の利用規約に含まれる更新は、顔認識データ、YouTube の収益化に関する権利、米国の納税義務です。米国では 2020 年 11 月より、米国以外では 2021 年 6 月 1 日よりこれらの利用規約が有効になります。

変更内容の概要は次のとおりです。

  • 顔認識に関する制限。利用規約では、個人を特定する可能性がある情報を許可なく収集できない旨についてすでに記載されていました。この規定は顔認識の情報に対しても適用されていましたが、新しい利用規約ではこの点について明確にしています。 
  • YouTube の収益化に関する権利。YouTube パートナー プログラムに参加していないチャンネルまたは収益化に関する契約を締結していないチャンネルを対象として、ブランド イメージを損なわない一部の動画への広告の掲載を徐々に開始します。これらの広告から収益分配は発生しませんが、クリエイターが参加資格(変更はありません)を満たせば、引き続き YouTube パートナー プログラムに申し込みできます。
  • ロイヤリティの支払いと源泉徴収。YouTube との間の他の契約(YouTube パートナー プログラムなど)によりクリエイターの方が YouTube から支払いを受け取る資格を有する場合、2021 年 6 月 1 日より、そのような支払いのすべてがロイヤリティとして扱われるようになります。法律に基づき、Google はそのような支払いから源泉徴収を行います。

一番目の項目、これは何を意味しているのかというと、

例えばYouTubeの動画配信サービスやSNSなどインターネット上のモノ・サービスの紹介の場(これをプラットホームと言う)で僕が見て気に入って「いいね!」を押したり、「検索」したとします。

今までは、プラットホーム側が(PPつまりYouTubeやグーグル、フェイスブックなどの企業)、「いいね」や「検索」に基づいて僕の好みを記憶して、やがて関連ずけして他の商品やサービスを自動的に紹介・提案して来たのです。

ところが、これからは僕が「いいね」などしなくても、
僕のアカウントや黙って顔認証をしているPCやスマホ機器の情報だけで、僕の個人情報を認識し、どんどん関連付けを適用して商品を紹介していきますよ!という事を意味します。

一々同意を確認しなくても、ちらっと見ただけで、ちょっと調べただけで、
ある日いきなり変なモノがスマホ画面に届くということです。

冗談じゃないですから。

手を握っただけで、『ハイ私妊娠しました』と言われるようなものですから。

強引、
拡大解釈、
暴走、



これからは興味本位で安易にきわどいモノは見ない方が無難です。
PP側は僕たちのネットに残した足跡、僕の欲望、感情、考え、行動、選択傾向、
何を検索し、何を「いいね」し、どんな写真をアップしたとか、
そういうデータをどんどん吸い上げていきます。

まるで、映画「宇宙戦争」で宇宙人が
人類の血液を全部吸い上げていくように。

個人データは「21世紀の石油」ともいわれます。

まさにPPは利用者の個人データを自動的に吸い上げ、僕たちにはわからない仕方で様々に分析したり加工したりして商品にしてビジネスをしている訳です。

僕の好みに気を配り一見便利なサービスのように見えますが、

僕たちはサービスを利用しているようで、
実はPPのためにデータ提供という「労働」を無償で行っているという訳です。

サービスの利便性だけを評価していると、スマホの電源をいれただけで僕たちは24時間あらゆる行動を追跡され、
個人データが分析される事になるのです。

自分のデータが勝手コントロールされ行動を変容させられていく未来なんてごめんです。

自分のデータを渡す渡さない、を自分で決める「データの主権」を取り戻していく必要がある。

公共の為に使う場合は許容するが、
商品宣伝や健康個人データを保険会社に売るような使い方は拒否する。

民主主義の鍵は主権という概念にある訳ですから、
時代に合わせてアップデートしていくべき必要があります。

そんなような事を
「 人新世の『資本論』」(集英社)の著者
 大阪市立大学准教授の斎藤幸平氏が言っています。


とりあえずの対策は、

カメラ機能の自分側のレンズを塞いで顔が認証できない状態に防御する。

外出時はスマホの位置情報機能を切る。
自分のスマホでは検索しない。
アマゾンのアカウントを無効にする、もう2年も利用していないし使う時は家人に頼むから困らない。
フェイスブックを止める。

現在使用中のPCが12年使用のMACでもうOSが更新出来なくなり買い替え時期に来た。
スマホも古いので新品に一緒に買い替えてアドレスもアカウントも変える。
これはこ財布と相談してか。

最近は毎日フィッシングメールがたくさん届き閉口しているので、丁度良い機会かも。





posted by タカシ at 13:05| 北海道 ☔| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年05月23日

杜甫「春望」に隠された意味を読むと(長文ご注意)

<推定死者、3,600万人の命の教訓を無にする中国共産党>

何でもない
普通の日常が当たり前に過ぎて行く
そこに有難さを感じることは
出来そうで出来ないが

コロナ禍で
あらためて深く考えてしまった。

皆んなが当たり前と思い受け入れていることは、
じつは結構いい加減なものだ。

昔の天動説がそうだった。

科学は多数決ではない。
多数決で選ばれた政治家もそうだ。

「安心・安全」の呪文をかかげ、
真実を隠して危機を煽り市民の自由を制限し、
皆がこぞって同じ行動をとるように仕向ける権力勢力。

古来、詩歌などには書かれた作品の文字から読み取る表の解釈とは別の、
裏の意味が隠されていることがあります。

いつの世でも詩人なんてとても食べていけない、特に戦乱の世では。
官使にでもなり食い扶持を持たなければ家族は養えない。

まだ強大な権力を誇る唐の下で、
苦労して40才で科挙に合格したにもかかわらず、
その地位を捨て野に降りた杜甫が「春望」という作品で伝えたかった事は何なのか?
想像を巡らせてみた。


もしかして人民解放軍に目をつけられるかもしれませんが、
日本国内では言論の自由が保証されているので私見をのべます。

2021年5月15日、コロナがパンデミックと宣言されて1年2ヶ月 以上も経過。
世界中で感染者数はのべ1.66億人超、死亡者のべ344万人と伝えられています。


一部にコロナ報道は煽り過ぎという指摘もありますがどうなんでしょう。
たしかに、毎日のように過去最多とか前週同日比とか、感染爆発を印象付ける表現が目立ちます。
実際にコロナ報道はかなり粉飾しているとする科学者もいる。

ただし国や製薬会社から研究費を貰っていない一部の科学者は批判しますが、
日本の大手マスコミは皆製薬会社からの広告収入が大口顧客ですから、
一切批判的な論評はしません。

こういうのを、馴れ合いとかグルと言います。
契約上の経費ではなく、あからさまに金品や褒賞栄誉や特権、多額の補助金などを与えて手なづける、或いは人質を取り強要するのは今の世の中でも有効です。


また、コロナの死者数には直接の死因ではない関連死もかなり含まれています。
いちいち解剖して特定している訳ではないです。
仮にワクチンの副反応で死亡しても少しでもコロナ特有の症状が認めたら、コロナ患者受け入れの補助金があるのでコロナの死亡として診断書を書き、その旨カウントし報告するわけです。

それを良い事に、最近の報道は事実を増幅しセンセーショナルに脚色する傾向がある。

コロナ以前と比較し、老人の死因が大きく変化しています。
つまり今までコロナに関係なくあった、通常の老衰や癌や肺炎や他の基礎疾患で死亡した数が明らかに減少している点です。
ということはコロナが直接の死因ではないが超過死亡というコロナ関連死に化けた事を意味する。

真実を見るのは難しい。
私たちは安倍にしろトランプにしろ、
政府や権威ある機関の発表がウソまみれなことだと疑った方が無難だと学習した。

なので324万人の新型コロナによる死者数も疑わしい対象。
少しコロナで年寄りや元々病気だった者の死が早まったのは確かだが、コロナで多くの若者や子どもの死者が急増した訳ではない。むしろインフルエンザで死んだ多くの子どもたちが、今コロナによって激減している。これはコロナのメリットでもある。

コロナ死の344万人で驚いてはいけない。

過去には中国だけで、
もっと凄い死亡者の出た戦争が何度もあった。

一番多いのは、三国時代の約4千万人、
近代では明の時代と清の時代にも、
2千5百万人から3千万人が国内の内乱で死んでいる。
(あくまでもの歴史学者による納税記録からの類推ですが)

例えば今回俎上にあげるのは、唐の時代に中国大陸で起きた戦争。
現代の推定で3,600万人。

コロナは、たった10分の一以下です。

人間の欲が原因の人為的な戦争は、
ウイルス禍も自然の大災害もかすむ、甚大な悲劇を産む。

多民族が領土を取り合う、大陸に棲む人たちは大変だ。

日本みたいな小さな島国では考えられないような、
一千年以上も前から民族間の争いが、
イヤ、時には身内の内乱の方がむしろ酷い戦いが続くからだ。

領土拡大、権力闘争は際限がなく止む事がない。
動物にもそういう傾向があるが限度がある、必要以上には争わない。
人間にはそういう歯止めの安全弁がないのかもしれない。
安全弁を外すのは,大抵が権力欲と宗教なのは歴然としている。

大陸の人達の中には人類みな兄弟、世界平和なんていう概念は存在しない。
勝って支配するか、敗けて隷属するか、
負けたら奴隷として一生強制労働させられ、死ぬより辛いのでもう必死。

そんな彼らが始めたノーベル平和賞も、
スポーツと平和の祭典と言われるオリンピックも、

まるで平和とは関係ないところで動いている。
むしろ政治のプロパガンダや、巨大利権として商業利用する道具に成り下がった感がある。

彼らの歴史は、食うか喰われるかとは言い過ぎだろうが、
日常が騙し合い、どちらが主導権を取るか、利権の椅子取り競争。

相手を屈服させて、討ち負かした人民を労働力として、
または奴隷として使い倒すという実にえぐい民族闘争の歴史なのだ。

日本の戦国時代がずっと続いているようなものかも。

「おい、春望はどうした?」
「はい、今、店を出たところです、もう少しお待ちください。」

最近特に困った政府が中国共産党政権だ。
香港介入にしても、新型コロナでも、
極め付けが新疆ウイグルジュノサイド問題・・・。
ジュノサイド防止のための国際条約の締結国なのに。
二枚舌、片手で握手し、もう片手に武器という国、全く信用できない。

習近平率いる中国には、
つくづく個人の人権という概念がないという事が分かる。
国家や企業がどんなに発展しようと勝手だが、
その集団を構成する人間の、人間としての当たり前の権利、
すなわち人権を抹殺する行為は近代自由社会では犯罪である。
どんなに一党独裁体制国家であっても許されるものではない。

例えば、むかしのドイツのナチス、
今、ロシアと北朝鮮と中国。

このうち、中国とロシアはコロナワクチンでも暗躍している。

ワクチンで先んじることで利権も、
国際的な主導権も握ろうとしている。

今時のワクチンは従来のワクチンではない。
本来のワクチンの定義は、無害化または弱毒化した病原体を体内に入れ抗体を作り、罹りにくくする効果があるものだが、

新しいワクチンは遺伝子操作した新薬であり、本来のワクチンとは別物。

集団免疫を獲得するには、最低でも人口の7割はワクチン等で抗体獲得が必要とされているが、

世界の人口70億人の7割、4.9億人にワクチンが必要という計算だ。
個人単位での購入ではなく国単位なので、
製薬会社の儲けは天文学的な利益につながる。

だから目の色を変えて早く無理やり作りあげるのだ。
新薬をワクチンと偽って流通させる裏技まで駆使して売り込んでいる。

薬には効果もあるが、必ず副反応もある。
新薬には短期的な効果や副反応だけでなく、長期的な実験観察が必要なのだ。この安全性が確認されなければ本来承認はえられない。

今回の新しいワクチンと称するものは、この長期的な反応は全くわからない状態で認可された。
国が意図的に承知したのである。リスクより開発のスピードを優先した訳です。

リスクは国民が背負う事になる。
もし副反応で死に至ってもそれは接種した国民の自己責任なのだ。

世界には本当の生ワクチンを真面目に作っている製薬会社もある。
その本物が流通するまで、長期的反応が解明されて安全性が担保されるまで待つ選択肢も自由社会にはある。

動物実験だけで人間への長期毒性実験もしていない遺伝子新薬なんてごめん被りたい人間がいるのは健全な社会です。

さて現代中国は、中国哲学を産んだ3,000年の永い歴史の教訓や知恵がまるで次世代に生かされない、
人権学習能力に欠けた残念な社会だと言いたい。

ウイルス禍の歴史を見ると、今までは大体3年で落ち着く。

でも、もっと長期に及ぶ悲劇は戦争だ。
一番悲劇なのは独裁者による長期専制政治だろう。
敵だけでなく自国民まで餓死させて殺しているからだ。

8世紀の唐の時代に、9年間にも及ぶ泥沼の戦争があった。
一時は都の長安まで陥落し、唐が滅びる寸前まで行き未曾有の犠牲者が出た戦いだ。

「安史の乱」という。昔の教科書では「安禄山の乱」と言っていたものだ。

その瀕死の唐の窮状を救ったのが、今のウイグル族の国家による援軍だった。
だから中国は現在の新疆ウイグル自治区のウイグル族には大きな借りがある。
心ある人間なら彼らを弾圧などできるはずがない立場です。

中国は多民族国家です。
漢民族が主体の地域は一部であり、満州もチベットも新疆ウイグルも独自の文化を持つ民族が住む地域で、自治区として占領しているにすぎない。他国にスキがあれば領土を拡大しようと虎視眈々と狙っているのです。

武力による拡大戦術には日米安保条約の楔がまだ効いていますが、
経済資金による日本の土地所有や会社の買収、そしてIT系中国企業による日本進出には抑えが効いていないなのが現状です。

最近はスマホのアプリ「ライン」の情報が中国サイドが閲覧できる状態だったと判明し大騒ぎになった。

北海道の占冠村では、人口1,486 名中、外国人(ほとんどが中国)が371名で約25%も占めています。トマムリゾート関連といっても中国資本がじわじわ入り込んでいます(2019年法務省統計より)。着々と人の就労・居住実績を重ねているのです。
同様に新得町のサホロリゾートも中国資本買収されている。

話題になった東北新社やフジテレビ系列企業、ラインに至るまで日本の電波通信や・マスコミにまで法の網を縫って侵入しているのです。

早く法律を改正して国内企業を守らないと、
合法的に実効支配される地域が出来てしまいかねません

今の中国共産党政権(中共)の領土のうち、
自治区という名前で実質占領している地域の、何と多い事かがわかる。
中国の領土157740140093728133639.jpg

現在、弾圧されている新疆のウイグル族はトルコ系のイスラム教を信仰するの遊牧民の国家です。
その歴史の中でもっとも栄えたのはオスマン帝国の時代。
史上最も強大な帝国のひとつで19世紀に崩壊するまで約600年もの永い間続いた多民族国家。

昨年、中国政府によるこの新疆ウイグル族へのジュノサイト(民族集団大虐殺)が認定された。
これは民族浄化とも言われる、ナチスのホロコーストと同じ非人道的な行為。

現在の中国は独裁者・習近平による恐ろしい専制国家でもある。
自治区といっても、実態は隷属であり、
現在も100万人ものウイグル人男性を強制収容所のような再教育施設で自由を奪っている。
それだけではない、不妊手術、女性を遠く離れた場所へ隔離し子孫ができないようにしている。

中共は過去にも虐殺を行った歴史がある。
毛沢東時代には同じ自国民に対しても行った。

大躍進政策や文化大革命によって直接死亡した人民だけでなく失政により餓死したものを含めると一億人とも言われる。
独裁政治のもとでは正確な数字は表にでないが、いずれにしても半端ない数字なことは確かだ。

共産独裁原理主義に毒される前の本来の中国国民は、
敵国であった日本人残留孤児を育ててくれた事でもわかるように非常に情に厚いことを知っている

なのに何故中共政権は圧政を強いているのか?
考えるに、その根底にはウイグル民族への大きな警戒心があったのではないか?
中国史上最長の政権のである289年の唐に対し、オスマン帝国は600年である。
(ちなみに江戸時代は265年)
中国より2倍以上も統治する潜在能力がある事も一因だろう。
また、現政権を脅かす可能性のある要因は徹底的に監視するのが中共でもある。

ロシアのスターリンの粛清といい、カンボジアのポルポトの大虐殺といい、毛沢東時代の文革といい
ゆがんだ独裁政治体制の元で起きた専制権力の暴走という人類の負の遺産。
かつてのナチスによるユダヤ人虐殺の過ちから何も学んでいない中国という国。

中国がこのままシラを切るなら、世界は黙っていない。
もはや北京で平和の祭典であるオリンピックを開催する資格はない。

世界に力を誇示する格好の場がオリンピックとみている中国。
世界は協調して来年の北京オリンピックを中止に追い込む制裁網を敷くことが重要だ。と思っていたらアメリカが動き出した。

それでもお金の欲しいIOCは来年の北京五輪の断行を試みるだろうが、
おそらく世界中の半分の国が棄権するだろう。

オリンピックのシンボルマークは五輪。
世界の五つの大陸を表している、
世界がひとつにまとまって行う平和の祭典である。

ナチスのベルリン五輪を認めたように、IOCの体質は何も変わろうとしないだろう。
近い将来、こういう時代錯誤の近代オリンピックは消滅する運命と見る。

人種や民族の多様性は世界平和の観点でも、
国際スポーツ競技大会においても保証されるものというのが世界のスタンダード。

これを無視する弾圧政策をとる国では国際大会の開催は不可能であるという事を行動で示さなければスポーツの平等と普遍性は支持されない。

さて、話を戻して、

今から約1,200年前に中国で起きた内戦である安史の乱での犠牲者は敵味方合わせて
少なく見積もっても1,000万人以上の戦死者が出たと言われていた。

まだ火薬も銃も発明されていない時代の、
大量破壊兵器もない旧式のアナログな武器だけの時代にこれだけの死者が出るのだから本当のところは想像がつかない。

それが最近の研究の分析では最大3,600万人という数字がはじき出されている。
当時の世界人口規模からいって現代の新型コロナの比ではない。

戦争の方が数十倍も怖い。
しかもウイルスなら3年もあれば終息するが、戦争はその数倍の長さ。
医療崩壊どころではない。人類の生活のほとんどが崩壊する。
唐の時代のそれを終息させる働きをウイグル族が果たした訳だ。

この3,600万人は想像も出来ない数であり、もう死屍累々であろう。
非常時なので懇ろに葬る余裕も無く、
屍(しかばね)が野山にも街中にもゴロゴロだと想像がつく。

杜甫の「春望」はまさにその時に詠まれた漢詩です。

釣りをして気ままに山奥に分け入る旅をしていると、
「国破れて山河あり、・・・」というイメージを彷彿とさせる景色に出会うことがある。
と言っても、白骨を目にすると言うわけではない。


ある日、道央の小さな河川へ行った時のことです。

ひと気のない山奥の川を釣り上がっていると、
昔そこで人間が生活していた痕跡に出会った。

渓の流れより一段地面が高い、いわゆる河岸段丘が現れた時だ。
それもかなり広いスペースだ。

目を凝らすと
草木の中に古い日本酒や焼酎の空き瓶が頭を出し、
ゴロゴロと結構な数が土の中に埋まっていた。明らかに人間の生活の痕跡だ。

でも住宅を支える基礎工事の跡はない。
察するにここは昔、人間が一時的に仮の生活をしていた場所。

もし開拓者の定住跡であれば、
食器やゴミ捨て場の痕跡や、
土間などコンクリートの痕跡もあるはずだが無い。

住居跡なら酒類のビンはビール瓶も多少混じっているものだが、
焼酎や日本酒ばかりでビール瓶が無いので飯場と推測。

下流のインレットまで住宅地はないので治水目的の工事現場ではない、
おそらく鉱山とか林道建設か何かの為の作業員の飯場が建っていたのだろう。

ここは地理的に胆振と石狩の分水嶺の山に通じる山道。
林道にしては広く山頂直下まで続いている珍しい場所。
もしかして、遠い昔の交通の要所だったのかも。

たくさんの労働者が建設に従事して活気溢れていたのだろうか。

そういう意味で、芭蕉の「 夏草や 兵どもが 夢のあと 」を想起させる場所でもあった。
芭蕉といえば彼が生涯所持していたのが、杜甫の漢詩の本。


杜甫といえば
『春望』

楊貴妃が生きた時代の、詩聖と言われた彼の詩は秀逸だ。

   國破山河在 国破れて山河在り                       
   城春草木深 城春にして草木深し
   感時花濺涙 時に感じては花にも涙を濺ぎ
   恨別鳥驚心 別れを恨んで鳥にも心を驚かす
   烽火連三月 烽火 三月に連なり
   家書抵萬金 家書 万金に抵る
   白頭搔更短 白頭掻けば更に短く
   渾欲不勝簪 渾て簪に勝えざらんと欲す

漢文の授業で習ったこの漢詩の日本語訳ではこうなる。

国家(唐の国都当時は長安)は崩壊してしまったが、山や河の自然は変わらず、
城内(みやこの長安)では春が訪れ草木が青く茂っている。
時世(戦乱の時期)の悲しみを感じては花を見ても涙がこぼれおち、
家族との別れをうらめしく思っては鳥の鳴き声にすら心を痛ませる。
幾月が経ってものろし火(安禄山の乱による戦火)は消えることはなく、
家族からの手紙は万金にも値する。
(心が痛んで)白い頭を掻けば掻くほど髪の毛が抜け落ち、
まったくかんざしを挿せそうにもないほどだ。

と文字とおりの素直な解釈ですね。

というか、文字づらしか解釈していない。
まぁ日本の公教育の教科書なのでしょうがないのですが、

中国人の思考は日本人には想像もできないほど複雑です。
日本人のような単純な思考ではない、策略を尽くしてきた謀略の歴史があるからです。

一般に詩歌というのは文学の一形態なので芸術の範疇です。
歴史を忠実に描写した訳ではなくても良く誇張でもどんな評価でも作者の自由表現です。

この漢詩のなかの戦争は言うまでもなく唐の時代の内部の反乱で、安禄山の乱(あんろくざんのらん)という戦いです。
ここまでは学校で習ったこと。

教科書の記述なんて表面的なものでしかない。

この漢詩のなかの戦いは、なんと10年くらいもの長期間続いた深刻な内乱で、もはや内乱の域ではありません。

戦争の当事者は敵味方共に自分たちに都合の良いことしか記録に残しません。
現代ではそういう事を「出版バイアス」と言います。
実際この戦いで何人の犠牲者が出たのか?もそうです。

戦史として残されていない事実を掘り起こすのは大抵が後世の外国人研究者です。
自国の研究者は自国の醜い都合の悪い非道な事実は表に出したくないのです。
政権が都合の良いように改ざんします。
誇張される歴史も宗教も皆そうです。

真実は価値観の違う、歴史学者でも文学者でも
宗教学者でもない、まったく別分野の専門家が、
別角度で調査して判明することが多いのです。

この中国の8世紀の戦争も現代のヨーロッパ人の経済の研究者が、
当時の租税として人民から集めた税金の記録から死者数を計算した概算数字です。

そこではじき出した戦死者の数が、
当時の人口の2/3にのぼる3,600万人と概算されたのです。
これは当時の世界人口の5%に相当する数とも言われます。

ただし、この数には議論の余地もあり、別の研究者は1,300万人と見積もっている。
3,600万から1,300万の間の数字ということになります。

何れにしても東京都の全人口くらいが戦死する内乱だった訳で、
大陸での権力闘争の残虐さは半端ないのです。

これは近代の世界大戦よりも死者が多いという事実。
もし5%を現代に当てはめると4億人に迫る膨大な命です。

もう死屍累々どころでは無い。
死体をうず高く積み上げる程度ではないのです。
一体それだけの数をどのように弔って埋葬したのでしょう。
インドのように大河に流した?



漢文の先生は、人心の荒廃と儚さ、自然の回復力・悠久さを対比させて鑑賞しましょうなんて寝ぼけて事を言う。
ボーと生きてんじゃねえよとチコちゃんに叱ってもらいたい。

人類を苦しめた過去の感染症でもこんなに多数は死ななかった。
新型コロナでの死者など足元にも及ばない。
もしかして有史以来の全部の疫病で亡くなった人類の数より多いのではないか?

現代日本で言えば、首都はもちろん全政令指定都市が壊滅した程度を軽く上回る数かもしれない。
内乱が終息しても、こんな数の死者を全部懇ろに埋葬できるはずはない。
焼くにしてもそんな 事に山に生えている樹を使えば国土は丸裸の禿山になる。
ただでさえ中華料理の小麦文化は野山を切り開いて畑にしたので、
草木は僅かしか残されていない。
遺体を焼く薪さえない。

都市ばかりではなく周辺の田舎の山や川にも野ざらしの骸がゴロゴロしていた事が想像できる。
緑が青いなんてお気楽な気分には程遠いはず。

日本の戦国時代でもそうだ。合戦場だけなく、
里山で餓死・戦死して自然に還った亡骸がたくさん埋まっている、
と長野県更埴市の古戦場の近くの地元の人から聞いた事がある。『森全体が墓みたいなものなのだ』とも。

だから中国の唐の時代でも野山の中で戦争で殺された兵士がゴロゴロいても不思議はない。

それに戦争でよく言われることは、
「外国との戦争より、自国民同士の争いの方が残忍さを極める」。

山河が戦後も変わらずにあるというのは、
臭いものには蓋ということの現れに過ぎなく真実は全く逆で、
山河は怖くて近づけないというのが本当の姿ではないかと想像するのです。

ただ為政者としては敵の手で陥落した都、長安も今は既に復興して大丈夫ですよ、草木も青々としていますよ、と言いたいのだろう。安倍元首相のアンダーコントロール発言の類か。
そういう唐政府の虚勢の安心安全宣言を忖度した歌かもしれない。

国民の2/3も死んだのに家族を憶い感傷に浸る呑気な歌を広めたと批判もあるが
きっと政府の統治能力の低さを隠そうとした、
御用作家の為政者への忖度のバイアスが働いているから?
そういう見方もできるが真相は闇。

ただ杜甫は、合格率が数%と言われた「科挙」に合格する為苦労したひと。
40歳を過ぎてやっと合格し下級役人に任官した苦労人。

それをあえて数年で放棄して旅に出た理由は?と考えるとより疑問は深まる

何々賞受賞作家や国から勲章をもらって喜んでいる人は多い。
権威を有難がる気持ちは、やがて自分から権力に尻尾をふる態度に変わり、
自分も偉くなったように錯覚する。
そういう芸術家は多い。
桜を見る会に参加する芸能人は、大半が権力に麻痺した人たちである。

いつの世もプロパガンダ効果に利用できる演芸歌舞の類は為政者が利用する。

現代は芸術のみならず、スポーツ事に関わるものが利用されます。

何百年後の社会体制も価値観も変容した未来社会では、
「春望」のような現代の真実が暴かれ、白日の元に晒される日がくるだろうか。

都合の悪い領収書や記録が民間の古文書として後世の研究者の手によって解明される日が来るだろう。

戦争は狂気である。
その狂気を利用して人心を操るのが独裁者。

毒殺で政敵を葬むろうとする露のPは、
1260万人の反革命分子を粛清したスターリンの継承者だし、

同じく毒で身内を消した北のキム一族は、200万人を粛清した独裁一家。

さらには、
ウイグルの恩人を民族ごと葬ろうとしている習近平は、
2,000万人を粛清した毛沢東の継承者だ。

キリスト教では「殺すなかれ」というように殺人を戒めていますが、
それは同じキリスト教にだけ通用し、異教徒には適用しない御都合主義の戒め。

だから十字軍で異教徒をバンバン殺戮したし、ユダヤの虐殺も起きたのです。
宗教の教えなんて、そんな自分に都合の良いものなのです。

共産主義の殺意は身内の市民に向きます。
政治的に反する反革命分子として粛清されるから怖い思想です。

僕は特定の宗教も政党も支持しません。

神も仏も
政党政治も

どれも信じるに足るものではありません。

じゃぁ、何を信じて生きるのか
何の為に生きるのか?

何の為に生きるのか、自体
自由に自分の意思で決めて良いのです。

ひとに説明したところで、自分だけの自分にしか理解できない考えなので、
説明する意義がない。

誰かのため?、
社会のため?、
自分の目的のため?、
組織の目標のため?、
欲望のため?、
社会奉仕するため?、
神さまのため?、
金のため?、
モノのため?、
こころの乾きを満たすため?、
犯した罪を償うため?、
死んだひとを供養するため?、
恨みをはらすため?、
・・・

ぼくは、皆んなと同じでなるべく苦痛が少なく、幸せな気分でいたいとは思いますが、
だからと言って幸福を追い求めるような事は嫌いです。

人生には良い事も悪い事も両方起きます。

うまく行かない時、人生の道に迷った時、民衆扇動的な政治家を求めたり、
答えを与えてくれる占師や宗教家を求めることも拒否します。

身の丈にあったごく普通の人生を普通に生きていければそれで十分満足です。
















posted by タカシ at 00:12| 北海道 ☔| Comment(0) | 歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年05月21日

カイポのこだわり

<さすが洋猫、嗜好が違うんです。>

僕のそばには、いつもカイポが眠そうに丸くなっている。

でも僕が酒のアテにチーズでも出そうものなら、
ビクンと覚醒し、鼻をクンクンさせピンク色の鼻腔を広げるながらスリスリしてくる。

日本の猫は、鰹節に目がないというのが定説だが、
ハワイ生まれのカイポはチーズにだって目がない。

カイポのチーズ嗜好は難しい。チーズなら何でも良い訳では無い。
好きな種類はブルーチーズなどヨーロッパ産の熟成のしっかり進んだ種類。
臭いチーズだ。

日本のカマンベールはあまり好みではない。
たぶん『 ケッ、こんな浅漬けみたいな軽薄なものが食えるか 』と言いたげな顔をする。

でも、もっとあっさりしたクリームチーズは例外的に好きだ。
ハード系の削って食べるモノでもクリアしている。

僕と同じチーズを舐めて、
うっとり見つめ合う姿は、まるでフランス映画の恋人同士のようだ。
♪シャーババ♫ ダバダバダ♫ ダバダバダ♫
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最近耳かきでこちょこちょうしてあげたら
えらく喜んだ。

ちょうど羽毛の柔らかな部分が好きらしい。
今後、毛鉤作りで使用するCDCが紛失したらカイポのいたずらかもしれない。


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鼻の下というかヒゲの生え際を撫でてあげるとデレデレだ。
同じ白色なので区別がつかないくらい似ている。


赤塚不二雄のキャラクター
ニャロメみたいで可愛かったので、
カイポのこの白い毛でニンフを巻いてみた。
IMG_20210329_150930.jpg
赤いタグとビーズヘッド以外はテイルもボディも
ハックルも全部カイポのブラッシングで取れた体毛です。

冬毛です。猫の毛は毛足が短いので苦労しました。





posted by タカシ at 12:05| 北海道 ☔| Comment(0) | ペット | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年05月20日

山親父とコール&レスポンス

<ヒグマの返答は牛の鳴き声の様だった>

5月13日(木)のことです。
某林道入り口で熊払いの儀式を行いました。

ひとりで入林する際は必ずこの行動をルーティーンとしています。

まぁ人間語で平たく言えば、
『 これから山に入るからな〜!!』
『 こら、出てくるなよ〜!!』

という強い意思を込めて

『ホッホッ、とか ホーイ、ホーイ』 と
山に向かって、毅然とした野太い声で狼の遠吠えのように吠えるのです。

この日もひと吠えした後、すぐに予想外の反応がありました。

なんと、返事の鳴き声が返って来たからのです。
びっくりです。まるで牛の鳴き声です。
もちろんこんな山奥に牛なんか飼っている所はありません。

これはまさに、

” コール アンド レスポンス ”
音楽でいうところの「掛け合い」。

ライブコンサートで、
「 乗ってるかい!! 」のコ−ルに対し
「 イェイ!! 乗ってるぜ!!」の返答のあれだ。

ゴスペルのコーラスが起源らしいですが、
モダンジャズでは楽器での掛け合いも有ります。

昔、タモリの昼の番組『笑っていいとも』でやっていた、
あの客とタモリのコール&リスポンスは有名です。

リハーサルも前説もあるテレビ現場と違い、
自然の中で、しかも単独です。

それがいきなりこちらの呼びかけに対し、
野生のヒグマが返答した訳です。

用心深いヒグマです。
よく知らない人間に対しする反応とは考えにくい。

この場所に入るのはいつも春先だけ、
年数回を10年くらい続けています。

最近はひとりか二人です。

野生生物を観察する特定の場所や、
山菜の群生ポイントにひとりでやってくる時に、
ヒグマの糞はよく確認していました。

ここは故・若田さんから教えてもらって引き継いだ春先の隠れた場所でもあります。
ヒグマが居ることは聞いていましたし、」他の釣友も小熊が樹からズドンと落ちた音も聞いています。

ここのヒグマは、私たちの事をニオイで識別しているに違いありません。

体臭と蚊取り線香とハッカスプレーと
小便とガソリン車の排気臭と・・・

いろんなニオイの組み合わせで人間を特定し識別する嗅覚は犬の何万倍?

全く風のない日は特に鼻が効きます。
逆に風の強い日で川の中なら音で気配が掻き消されるので臭覚も聴覚もダブルで効きません。

少し霞がかかっているなら尚更視界も効きません。
カーブの多い小渓流の遡行はリスクが増大します。

今日は晴れた無風の林道なので丸見えだし、
香取線香もたいています、熊鈴も鳴らしています。
笛を忘れたので林道のカーブの手前では必ず大声を出しています。

そして今日はいつも持参していない物を担いでいます。
タモです。ランディングネットではないです、タモです。
水棲生物捕獲用の本格的な柄の長い網です、それを担ぐと結構な高さに網の部分がきます。
ヒグマは自分より背の大きな物に警戒します。
長いものも蛇を連想するのか警戒します。

ヒグマを接近させない手段として忌避効果を狙っています。
まぁ、ヒグマは高い崖の上からこちらを見て様子を伺っているだろうから、
その場合の効果は期待出来ないにしろ、手に持つ物はナイフ以外にもあった方がないもないより安心出来ます。

応答してきたクマはオスなのでしょうかメスなのでしょうか?

5月から7月はヒグマの繁殖行動の最盛期。
普段人前に出ないオス熊もメスを探して歩き回ります。

自分の縄張りに侵入した人間を、メスを間違えれコールした?
いや単に排除する警告音?

こんな時は、入林せず、すぐ撤退するのが常道です。
良い子のみなさんは無理せず引き返しましょう。

それでどうしたか?

入り口付近で、山ウドとモミジガサ(しどけ)を採って帰りました。







posted by タカシ at 21:43| 北海道 ☔| ヒグマ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年05月19日

じんりゅう考

<政治家が一般国民を煙に巻く専門用語を多用するのは・・>

また変な日本語が出てきた。

世の中が乱れておかしくなった時に出現するもの。
実態は人間が恣意的に作り上げた架空の存在である。

お化けのように現れるから面白い。


中身の薄い事を特殊な専門用語で覆い隠して、
立派な政策に見せようとする政権の末期的兆候である。

「人流(ジンリュウ)」。

今年5月頃から毎日のように耳にする、『じんりゅう』。
日本人なら普通に訓読みで「ひとのながれ」にした方が誰でも意味も連想できて分かり易いのに。

ワザワザ、「ジンリュウ」などと発音するのは、
Chinese Pronounce 、つまり中国語発音(音読みともいう)を尊ぶ政治的潜在意識の表れか?

まさか、中国武漢発祥のウイルスだから敬意を込めて、というのではないよなぁ、と疑いたくなる。


この言葉は2018年頃から専門家が使い出していた。
専門家というのは、インバウンド旅行者のビッグデータの解析を行い観光サービス発展に寄与するための観光情報解析研究者。
元は理化学研究所のチームなどがAIを駆使して研究成果を発表していたが、

コロナでインバウンドが減った今、これらの技術は当初の旅行者ではなく、
日本国民の行動変容の誘導,国民の動線の解析とい う観点を論文で示唆した事が、

コロナ禍における、政府がコントロールすべき国民の誘導・解析にも 適用が可能な技術であるという考えから、
今年になってやたら官邸政治主導で使い出した。

今では首相や政府関係者だけでなく、全国の知事が右へ習えで乱用している。

研究論文の中の文脈で専門用語として書き言葉の「人流」を使うのは良いが、
話し言葉としての「じんりゅう」は避けるべきだ、というのが言葉の専門家の見解です。

簡単に言い換えれば、
「 ひと出 」・「 ひとのながれ 」と言えば済むところ。
全く無駄な変換だ。

政治家が言葉遊びで人心を惑わすのは止めて欲しい。



posted by タカシ at 13:40| 北海道 ☔| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする